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(無題)

 投稿者:通りすがり  投稿日:2015年 1月 4日(日)15時18分49秒 s957096.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
返信・引用
  国生み神話の中でイザナギとイザナミの二柱の神が天沼矛を海中?に指し下ろして
潮をコオロコオロと掻き回す云々。
潮をコオロコオロとは、正に藻塩製塩に於いて
素焼きの塩焼壺の中で海水が加熱され水分蒸発が進んだ最終段階で
壺中の塩が弾け同様の音を発する事が以前に淡路島の郷土史家ほかによる実証実験で確認されています。

一方で、上位の者(神)から平定命令を承って大将軍にイザナギが任じられた。
その軍事統帥権(の委任)と命令の証(摂)が天沼矛(某かの武器)と言うことを表しています。

これに付いては(神代から現代に至る迄)世界中で同じ事が行われています。(刀剣(刃物全般)、弓、矢、槍、旗、ほか武器武具)
イザナギを征討平定軍の大将軍。イザナミをその副将と考える方が良いかも知れません。(男女としない)
事が終われば、上位者にイザナギは復命すると共に軍権の象徴である天沼矛は返却せねばなりません。(日本書記には日少宮に昇って復命(カエリゴト)をしたとか?)

もし、事が成就せず一敗地にまみれ形勢与せず野に倒れ死亡するような事態になると、
敵に軍旗、摂(軍権の証)が渡らない様に家臣(臣下)に託し安全な場所へ逃避(~本営に帰還)させるのが常?

中世、この有り様になってしまったのが楠木正成公。
湊川の合戦で時勢与せず四面楚歌となって自尽の砌。
後醍醐天皇から承った摂刀(菊一文字(現在、国重要美術品(準国宝)))と守護神で自念仏で有った八幡大菩薩を家臣某らに託し逃避させた。(~淡路島に至り隠棲。後に楠木村と呼ばれ、更に(淡路市)楠本となる)
楠木正成党は多分、葛木(高尾張)族なのでしょう(葛木カツラキ→クズのキ→クスノキ)
氏神が金剛山(高天山)系の建水分神社と
美具久留御魂神社(出雲大神荒魂/大国主神。出雲の大神宮に代わり出雲族の神宝を宝蔵。崇神天皇に所以)。、、、久留麻(久留真、車、久留米、来馬、、、クルマ)神=出雲大神荒魂/大国主神
いわゆる出雲の神々。
出雲大神荒魂はあまりにも畏怖すべき神である為ヤマト朝廷側に接収、横領されて天照大神荒魂に変神?
 
 

リンクさせていただきました。

 投稿者:野崎梨乃  投稿日:2013年11月19日(火)11時56分34秒 pre81381.fip.synapse.ne.jp
返信・引用
  奄美大島でブログをさせていただいております野崎と申します。
奄美と海人族との繋がりを求めてネットを調べておりましたところ、こちらのサイトにたどり着きました。
あまりの情報量に、ビックリしております。また大変わかりやすく、勉強になります。
奄美の人々にぜひ知っていただきたく、リンクさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

http://amamikyo.amamin.jp/

 

Re: 越智氏について

 投稿者:ひろ  投稿日:2013年10月 1日(火)13時04分50秒 em114-51-145-104.pool.e-mobile.ne.jp
返信・引用
  > No.187[元記事へ]

ひろさんへのお返事です。

> 家の系図に越智氏の名前があったのですが、どうゆう系図なのか見方がわからないです。
> もし、見ていただけるのであれば写真であるので見ていただけますでしょうか?

///
 

越智氏について

 投稿者:ひろ  投稿日:2013年 9月27日(金)11時40分54秒 em114-51-19-98.pool.e-mobile.ne.jp
返信・引用
  家の系図に越智氏の名前があったのですが、どうゆう系図なのか見方がわからないです。
もし、見ていただけるのであれば写真であるので見ていただけますでしょうか?
 

Re: 伊雑宮の神様

 投稿者:もーむ  投稿日:2010年11月 8日(月)10時09分26秒 f188083.mctv.ne.jp
返信・引用
  > No.182[元記事へ]

>同じ話だと判りますよ。
ごめんなさい、同じ話というのは素戔嗚尊の乱行の話です。
1人機織りの娘が殺され、それが切っ掛けで天照大神が天の岩戸に隠れてしまいます。
この殺された娘が食べられてしまった鮫です。
天照大神が隠れた先が磯部六の一つ恵里原の水穴で天の岩戸と呼ばれています。
あと、豊受大神のもう一つの姿が三穂津姫命、市杵島姫命と国狭槌尊です。
国狭槌尊は熊野速玉大社の神様です。・・ここで賀茂氏と繋がります。
これを信仰していたのが九鬼嘉。九鬼氏が立てた砦の場所に着いた名前が加茂。
現在の鳥羽市松尾町加茂の由来です。
 

伊雑宮の神様

 投稿者:もーむ  投稿日:2010年11月 8日(月)09時20分47秒 f188083.mctv.ne.jp
返信・引用
  http://homepage2.nifty.com/amanokuni/wanizame.htm のページに書かれている伊雑登美神、玉柱屋姫命の両者は、伊雑宮の豊受社の神様です。豊受大神で正解です。比治の真名井の民話に気がつけば、玉柱屋姫命=天の川(玉の柱の夜)の姫=弟棚機になります。伊雑登美神は伊雑浦から登ってくる美しい神と言う事になります。七本の鮫は天白神。豊受大神の7人の姉(北斗七星)であると同時に7人の童子で、ルートは志摩市の船越の大滝-大王崎-安乗崎-伊雑宮の順で、この3ヶ所に祀られているのが天白神です。大滝に住んでいた豊玉姫は後に転居し、志摩市の立神の立石神社にいます。現在のルートはこの立石神社から御座岬沖、和具の大島付近、大滝、波切神社と大王島の間、安乗神社と大倉島の間を通り、伊雑宮に向かいます。鮫が食べられてしまう話は、鮫を妹同様、7人の機織りとし、漁師を素戔嗚尊に置き換えると同じ話だと判りますよ。  

記事を引用します

 投稿者:kawakatu  投稿日:2010年10月31日(日)12時52分53秒 7a985f011.oct-net.ne.jp
返信・引用
  HP渡来と海人、民族学伝承ひろいあげ辞典ブログ管理者Kawakatuと申します。
このたび民族学伝承ひろいあげ辞典に倭直の分析記事をアップするために資料を求めてやってきました。
一部の記事を引用、リンクさせていただきますので、ご了承くださいますように。

http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html

 

そういえば…

 投稿者:海棠槇人@管理人メール  投稿日:2010年10月11日(月)18時09分41秒 nttkyo567047.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
返信・引用
  島根県立石見美術館さまより、開館5周年記念展I「神々のすがた 古事記と近代美術」のご案内を頂いておりました。(*^-^*)
お近くの方は、是非、お立ち寄り下さいませ。m(_ _)m

海 ^_~*

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/

 

あえて出典を申し上げれば…

 投稿者:海棠槇人@管理人メール  投稿日:2010年10月11日(月)15時43分35秒 nttkyo567047.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
返信・引用
  >丸谷憲司 様
いつもながらの放置状態で申し訳有りませんでした。m(_ _)m
最近仕事も忙しくて、なかなか来られません。情熱はまだあるんですがね。(;^_^A)

ええと。あえて出典を申し上げるなら、平安時代中期成立の「和名類聚抄」でしょうか?
五十瓊敷入彦命が太刀を千振り(伊部氏が祀った剣を含む)を作ったのは、「記」では鳥取の河上宮、「紀」では茅渟の菟砥の川上宮で、鳥取(ととり)も菟砥(うと)も、和名類聚抄によれば和泉国、つまり現在の大阪府阪南市になります。平成3年(1991年)10月より、大阪府泉南郡阪南町は大阪府阪南市になったそうですから、私の持ってる古い「記」か「紀」の注釈に載っていたのかもしれません。
また、河内・和泉・伊勢・美濃・上野・越前・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・備前・備中・肥後と日本中に数ある「鳥取」という地名は、白鳥を捕らえて朝廷に献上する「鳥取部」という部民の住んでいた土地に由来するといわれますが、鳥取部は垂仁天皇の皇子・誉津別命の項に初めて登場しますが、「鳥取」の地名はそれより前の項、誉津別命の長兄にあたる、伊部氏が奉祀するあの「剣」を作った五十瓊敷入彦命の項に見られる為、泉州の鳥取は数ある鳥取の中でも最も由緒ある「鳥取」であると考えられます。
備前焼が備前市伊部地区で盛んで「伊部焼」の別名を持っていることからも吉備(岡山)と伊部氏の関係は深いですが、伊部氏が五十瓊敷入彦命が作った剣を、座ヶ嶽の山頂に祀っていたという延喜式神名張に見える「伊部磐座神社」は、越前国敦賀郡・現在の福井県丹生郡越前町(旧織田町)の岩倉と推定されており、忍熊王がその剣を祀った剣神社もごく近くにあって越前国二宮であるので、吉備国(岡山県)でないから伊部氏と整合性が取れないということはないと思います。伊部郷は越前国敦賀郡ですし…。詳しくは弊サイトの吉備氏をご参照下さい。
が、これはあくまで記紀を素直に読んでの「定説」です。誉津別命のお話は、出雲系の伝説の匂いがしますし、記紀には時間軸的なトリックが仕掛けられているのもまた事実。定説を覆すのが研究者のお仕事ですから、一層の御研鑽と益々のご活躍を祈念申し上げます。トリックをお解きになられましたら、またリンクでも貼って教えて下さいませ。m(_ _)m

海 ^_~*

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/

 

鳥取川上宮の出典を教えて下さい

 投稿者:丸谷憲司メール  投稿日:2010年 8月 3日(火)21時09分0秒 softbank218115078031.bbtec.net
返信・引用
  剣神社の説明に、「鳥取川上宮(大阪泉南郡阪南町)で作った剣を、伊部臣が座ヶ嶽の山頂に祀っていた」とされています。
「鳥取」とは、岡山県赤磐市の「鳥取」でないと伊部氏との整合性はとれないと思うのですが、大阪泉南郡阪南町とした根拠を教えて下さい。

私のホームページ「宝木伝説」より、下記をお読みください。

  熊山遺跡出土品の考察 PDF2.93MB

http://mryanagi.hp.infoseek.co.jp

 

三島溝咋耳命ですね?

 投稿者:海棠槇人メール  投稿日:2010年 2月11日(木)15時16分36秒 nttkyo415160.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
返信・引用
  >かな様
こんにちは。ようこそ弊サイトへいらっしゃいました。(*^-^*)
三島溝咋耳命についてのご質問ですが、神様のお名前というのは、だいたい音の当て字か、
その神様の特徴を表すことが多いです。三島溝咋耳命も、無難に解釈すれば「葦原の生い
茂る未開の地に水路(溝・ミゾはミズそのものとも)を作り水田を開き、湿地に杭を立てて
開墾した人」となります。
また、この神は河内陶都耳命と同神とされますが、これは「陶器作の首長」となります。
また、音ととらえて「みぞくい」「みそさざい」「みさんざい」「みささぎ」で、
「大きな墓の主」とする説もあるようですが、定説はありません。
ちなみに溝咋神社付近の古墳といえば、耳原古墳ですね。御参考まで。(^-^)/~

海 ^_~*

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/

 

ちょっと気になりました

 投稿者:かな  投稿日:2010年 2月 7日(日)17時43分44秒 w21.jp-t.ne.jp
返信・引用
  三島溝くい(漢字変換できず)について書かれていたペ―ジを拝見させていただきました。で、気になったのですが、この神の名前の由来やいわれなどはご存じですか?もし何か少しでも分かったら教えて下さい。お願いします。  

オワリにしようぜ!

 投稿者:子供の帝国  投稿日:2009年10月 7日(水)22時38分33秒 p15106-ipbffx02souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  加茂族は賀茂族の間違い。
お後がよろしいようで…。
 

友人の話でも

 投稿者:子供の帝国  投稿日:2009年10月 7日(水)22時36分43秒 p15106-ipbffx02souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  俺の友達に似たような境遇の奴がいたような…。只の人であるが、只者ではないと勝手に思われ迷惑がっていた。結局、繰り返しになるが、通常の一般の人、只の人であるのだが、頭の愚かな人が勝手に思い込んで広めたらしい。本当かどうか、わかんないが当事者は訴えるかどうか本気で考えていたらしい。その後どうなったかわかんないが。いずれにせよ通常の一般の人を侵害する行為はいただけませんなあ。只のケンカだったらまだ話はわかるけど。  

(無題)

 投稿者:合図をおくれ  投稿日:2009年10月 7日(水)22時35分41秒 p15106-ipbffx02souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  皇族の関係者なんかがその辺を闊歩している訳ないでしょう。それから資料に載っていたからといって、なんで自分の友達がそれといえるわけでしょうか?すこし妄想が入っていると感じます。貴族や公家関係って非常に少数派だろうから、末裔がいたとしてもこれを見ているあなたの傍らにはまずいないと思ったほうがいいと思います。変な期待を抱くのはやめにしたほうがいいですよ。  

決め付けるのはどうか…

 投稿者:合図をおくれ  投稿日:2009年10月 7日(水)22時35分4秒 p15106-ipbffx02souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  本に書いてあるからといって、該当者を勝手に決定付けるのは、歴史学の本質を理解していない証拠でしょう。自分で調べるのは自由だけど、他人をあれこれ探索するのは、人権侵害になるかもしれませんよ。しつこいと訴えられるかもしれないから、よく考えたほうがいいですね。  

関東に賀茂族なんていない?

 投稿者:子供の帝国  投稿日:2009年10月 7日(水)22時33分52秒 p15106-ipbffx02souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  ところで、関東にいる加茂族っているみたいなこと言う奴がいるようだけど、どういうことだい?関東に賀茂族なんていないんじゃないの?まあ絶対とはいわないが、怪しいよ。適当な憶測でものをいうことは慎み給え。どっからそういうことがいえるのか?なにかの文献にかかれていたからなのか?系図だったら同じなまえの人は沢山いるんだから、そのひとがそれに該当するなんてことはそうそうないでしょう。  

海の民か?

 投稿者:子供の帝国  投稿日:2009年10月 7日(水)22時31分23秒 122x219x64x120.ap122.ftth.ucom.ne.jp
返信・引用
  なんで、海の民って決め付けるのかね。なんかあやふやな思いで言っても意味ないような気がするが。こういうとすぐに「渡来系は?」という質問がお約束のようにでるが、渡来系っていうのもどうかね。そんな時代に生きていた人間なんていないんだからさ。資料もこれといってないわけだろう?それじゃ確かなことはいえないし、先ず違うだろう。素人の阿呆連中が、時々騒ぐけど、臍で茶を沸かすような気がするね。何も解ってないって感じだ。  

そんでもって

 投稿者:合図をおくれ  投稿日:2009年10月 7日(水)22時29分53秒 122x219x64x120.ap122.ftth.ucom.ne.jp
返信・引用
  なんで、なんの証拠遺品もないのに、公家や社家だって決めつけるのでしょうか?武家の出もそうですよ。あたまおかしい…というのは言い過ぎでしょうが、基本的に上記三者は、世襲制だから、やたらの人がなったりすることは特例以外はないと思うし。ということは名前がなにがしかの文献に載っていたからといって当人がそうだというのは違うと思います。勝手な憶測で決め付けると大体失敗すると思いますね。特にこういう分野は。  

(無題)

 投稿者:子供の帝国  投稿日:2009年10月 7日(水)22時28分31秒 122x219x64x120.ap122.ftth.ucom.ne.jp
返信・引用
  姓と階級の噺って昔から言われているものだけど、「戦後は民主主義の思想に反するから言ってはいけない」ということになったようですよ。まあ、歴史好きの個人が勝手に調べるのは自由だろうけど。ところで、証拠もないのに、文献に書かれていたからといって、自分のことや、当人のことを勝手に公家呼ばわりするのは問題だと思いますがいかがでしょうか。  

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