teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 足あと帳(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


プロキシ

 投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 7月 1日(日)05時09分57秒
返信・引用 編集済
  インターネットへの接続は携帯ブロードバンドを使っていますが、ここ数週間おかしな事が起こっています。私のブロッグ 8227.teacup.com/nipponforum/bbs 日本広場 in Sweden に投稿しようとするとエラーの表示。
「ご利用のホストアドレスはプロキシと判断されました。この掲示版にはプロキシの経由の投稿はできません」の表示。
ホストアドレス IP が度々変わる。誰かが僕の携帯ブロードバンドをブロックして、チェックしていると思われる。ここはスウェーデンですか。それとも思想の自由がない独裁国でしょうか。
今の所日本での問題が緊急なので取り上げていないがある程度落ち着いたらスウェーデンでの問題を日本向けに発信していくつもりだ。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 
 

小沢一郎

 投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2012年 6月24日(日)06時03分51秒
返信・引用
  小沢一郎  投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2012年 1月25日(水)13時46分31秒 返信・引用
中園君のスレッドについて私の感想を述べます。
小沢一郎について世間の評価、
「政界の黒幕」は事実に反する。小沢は自民党に留まっておれば総理大臣になれた。政府に入ったのは若いときの自治大臣だけだった。しかし常に政界の中心にいた。(黒幕のような影の人物ではない。)
「建設業界からカネを巻き上げ」は自民党の多くがそうである。西松建設事件で明らかになったのは西松から献金を貰ったのは自民党議員が8名、民主党では小沢1名、だけど取調べを受けたのは小沢だけだった。
「自欲のため」は正しくない。政治家としての「信念のため」である。
「悪人面」かどうかは別として決して男前ではない。
「汚職で裁判にかけられ」は間違い、小沢は政治規制法違反即ち秘書が作った政治資金収支報告書に間違いがあったのではないかという裁判が行われたが、その虚偽記載に小沢が関与したのではないかという疑い。「政治資金収支報告違反での起訴」(しかし関与を示す証拠は何一つ検察側から提出されていない。)
汚職に関しては検察の総力を挙げて(国家予算を30億円も費やして)捜査したが証拠は得られていない。

普通に考えれば検察の捏造に基づく強制起訴であるから「公訴棄却」が適当。
日本の裁判が公正であるかどうかが試される政治謀略事件で」ある。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

小沢一郎公判

 投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 6月24日(日)06時02分6秒
返信・引用
  小沢一郎公判  投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 1月25日(水)05時37分56秒 返信・引用 編集済
小沢一郎

日本には小沢一郎という政治家がいますが彼の評価は聞く人によって大いに異なります。
反小沢の評価 :小沢は古いタイプの政治家で政界の黒幕として暗躍して居り建設業界から金を巻き上げて自欲の為に政治を乱しているとんでもない奴だ、悪人面だ、嫌いだ。汚職で裁判にかけられて居り勿論有罪に決まっている。と。
親小沢側の評価 :日本の既存政治体制、即ち官僚が支配する政治体制を徹底的に破壊して真の民主主義に基ずく政治体制を作ろうとする本当の政治家であると。
日本の大手新聞である朝日、読売、毎日、日経は殆どが反小沢の論調である。
我々が得る情報源は従来は新聞、ラジオ、テレビで此れ等の機関がフィルターを通した情報しか入手出来ず、大新聞の記事を全て真実と見る傾向が有ったと思います。
しかし、最近ではインターネットの普及に伴い、情報は従来のマスコミ以外からも大量に得られる様になり、自分自身で分析、判断出来る機会が急速に増大したと思う。

日本で現在小沢一郎公判が進行中であり、この公判は色々な意味で日本の現状の司法、政治、民主主義の姿を反映しているとおもう。
この公判を中心に小沢一郎と日本の政治を考えていきたい。

小沢一郎 : 1942年5月24日生まれ。衆議院議員、1969年初当選以降連続14回にわたり当選。衆議院議員運営委員長(第41代)、自治大臣(第34代)、国家公安委員会委員長(第44代)、自由民主党幹事長、新政党代表幹事、新進党党首(第2代)、自由党党首、民主党代表(第6代)、民主党幹事長(第9代)等を歴任。90年代以降、55年体制終焉後の日本を代表する政治家の一人。
(Wikipediaから引用)


小沢一郎の公判:小沢一郎は小沢の政治資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り政治資金規制法違反の容疑で東京地裁検察は延べ200人の検察官を投入しての長期にわたる検査を行ったが2度にわたり不起訴とした。
しかし、検察審査会がこの件に関して2010年4月に二度目の「起訴相当」と議決し、更に同年9月に強制起訴すべしと「起訴議決」をきめた。
之に基ずき、裁判所が指定する弁護士が検査官役となり、小沢は政治資金規正法違反(虚偽記入)で「強制起訴」されて、昨年10月6日に公判が始まった。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

正義とは 

 投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 6月24日(日)03時54分55秒
返信・引用
  正義とは、第6回講義  投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 1月23日(月)09時55分23秒 返信・引用 編集済
第6話 動機と結果
    己の動機に注意/ 道徳性の最高原理
    Mind Your Motive / The Supreme Pricipal of Morality
第1部:己の動機に注意
サンデル教授は第6回目の講義でカント哲学即ち倫理学を説く。
「純粋理性批判」 57歳で出版 (1781年)
「人倫の形而上学の基礎付け」  (1785年)
人間は各々の尊厳を尊重して、例え結果が良くとも己の目的のために人を手段として利用してはならないという、人間として絶対無条件的に守らなければ成らない義務( categolical duty)が有るとカントは説く。
1)道徳性の最高原理とは何か。
2)自由とは何か
カントの主張する哲学は喜楽と悲しみが人間を支配すると言う功利主義に反対する。
人間各個人は皆各々尊厳を持ち尊厳の尊重を求める理性的な生き物である、即ち理性的に判断できる生き物で有り且つ自律的な生き物である。
人は己の目的を選び理性的に行動する能力をもつ生き物である。
人は確かに苦しみを避け、喜びを求めるのをカントは否定していない。しかし、喜怒哀楽が我々の主人であると言うベンソンの功利主義の主張には反対する。
人間は動物とは異なり理性的に行動する生き物である。欲望に従って行動する事は自由に行動することではない。自然の要求に従っているだけで、いわば自然の要求の奴隷と成っているに等しい。自由に選択した事ではない。カントが言う自由とは自然の必要に従う行為の逆の行為である。
数年前にある飲料会社の宣伝文句に「喉の乾きに従いなさい」と有った。
スプライトにするかペプシーにするかを己が自由に選択していると言うかもしれないが、実際は自然の欲求に従って選んでいるに過ぎない。
之はカントによると自由の選択ではない。カントが唱える自由の概念は 自律的行動即ち己が決めた法則に元ついて自由に行動する事である。
カントが唱える自律的行動の逆は己が選択していない行動即ち他律的行動である。
ボールが落下して転がるのは自然の法則に従って動いただけでボール自体が自由に選んだ動きではない。

カントは自由と同時に道徳の概念を求める。
自由に行動すると言う事は目的の為に適した手段を選ぶ事ではない。目的それ自体の為にその目的を選択する事である。
ボールと違って、人間は他が決めた法則に単に従う道具ではない。人各々は尊厳を持ちその尊厳を尊敬する至上の義務が有る。また、人間は各々が正しい判断をする能力を持っている。
例え長期的観点から見て正しい結果と成ったとしてもその目的の為に人を道具として利用する功利主義は間違いである。
では正しい行為とは何か。道徳、動機、意志の質、意向を説いていく。
行為の道徳的価値は動機による。即ち正しい理由にもとずいて正しい行為をする。
どう影響したか何を達成するかと言う善意では駄目。善意それ自体が問題である。例え結果を出せなくとも最大の努力をすることそれ自体が宝石のごとく輝くものである。と説く。
義務にもとずく動機と傾向性に基ずく動機。道徳的価値は義務にもとずく動機に有り。
例えば店の主人がボーとしたお客をみてこの客には釣り銭を誤摩化しても気付かれないと見るがもしごまかすと、後で客が気付いて店の評判を落とすであろうと思って正しい釣り銭を出したとする。しかし、この店の主人の最終行為は正しいが動機そのものが自欲によるので正しい道徳的評価にもとずいた行為ではない。
自殺に関して :命を保持するのは義務である故に自殺をしては成らない。

正直は最前の策です。それに最大の利益を与えます。と商売のモットーをニューヨークタイムの広告板にでた。之では正しい道徳的価値を反映するモットーとはいえない。
ある大学で試験をインチキする行為を減らす策として其の地の商店とタイアップして、インチキしないと誓約書にサインするならば10-25%の割引が受けられます、と。之も動機が間違っている。
即ち動機の道徳性が問題である。己以外の外部の動機による行為では本当の自由な行為とは成らない。道徳的価値のある動機で選ぶ自由が本当の自由なる行為である。
教授は学生に問う。カントの倫理学を理解出来たかと。
ある生徒が聞く:例の店の主人だが、動機は店の評判を落とさない為と言うのではなく、道徳者で有りたいとの動機で正しいおつりを払った場合はどう見れば良いのかと。

教授;なかなか良い質問ですね。道徳者で有りたい故に道徳行為をすると言うのではなく、より高い道徳を追究するという過程の中での動機であれば良いとカントは見る。
同じ生徒の質問:客観的に判断される正しい道徳法とは何か。
教授 :実に良い質問ですね。各個人が自律的に選んだ道徳法は正しいと言う保証は有るのか。どう判断して良いのか。法はこの講義室で幾つ有るのでしょう。1000ですか。一つですか。カントはいう。一つだと。

各々が決めた法が同じ道徳法であるとの保証は有るのか。
人間は皆理性的に判断して各々の尊厳を認めて行動する能力を共有する、即ちカントの言葉では純粋実践理性を共有する故に到達する道徳法は宇宙的である。
この道徳法は何を提示するのか、何を含むのかを次回に講義する。で第1部は終わる

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

スウェーデン事情

 投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2012年 6月24日(日)03時52分52秒
返信・引用
  スウェーデン事情  投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2012年 1月20日(金)11時14分21秒 返信・引用
中園君のスウェーデン情報は興味を持ってみています。且つとても参考になります。
というのも今日本は歴史の岐路に立っていると思います。戦後の荒廃から中央集権の強みを活かして、「国土総合開発計画」が進められ経済も「傾斜生産方式」により重化学工業への資源を集中して高度成長を実現、世界第2の経済大国にらなりました。しかし加工貿易立国の地位はすでに発展途上国に譲り、今や世界第1の投資債権大国です。
物も溢れ、私も家も車も手に入れました。欲しいものは特に無く後は健康と趣味、家族、友人との絆、など物以外に興味を持っています。まだ物が必要な若者は大半が非雇用労働者になり、欲しいものを買えない、結婚も出来ないというのが日本の現状です。
しかし、政治は既得権から解放されずこの歴史的転換期にこれからどうしたらよいのか的確な処方箋を誰も書ききれていません。
私は北欧のあり方が一つの参考になるのではないかと思っています。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

自分で考える。リビア

 投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 6月24日(日)03時49分49秒
返信・引用
  自分で考える。リビア  投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 1月16日(月)07時47分26秒 返信・引用
8月24日の投稿の転写です。リビアのカダフィーが殺されてカダフィー政権が完全に崩壊する前に書いた文です。
この所リビアに関するニュースは皆無。1ー2年先リビアがどうなっているか関心ありますね。


自分で考える、判断する態度は情報が大量にいりみだれて今の時代では最も必要なことですね。自分で考え判断するには勿論常に学ぶことでしょう。私はスウェーデンの自然の中で生活して言うので、日本の本を読む機会が殆どなく、どのようなことが議論されているのかよくわからない。新聞の記事を読んで、どうも筋が通らない、つじつまが合わないとみて自分なりに分析するしか無い状態です。勿論自分なりの歴史観で判断する独断性は避けられません。

例えばリビアに関しては下記の様に独断的見方をしています。
各国はそれぞれの歴史と、文化により現在の政治体制が出来て居り他国が直接干渉すべきではないと思っている。
リビアはイタリアの植民地支配から独立したが其の時点では統一国家の形態は無く各地域の部族の集まり。1969年、ナセル主義者のカダフィーが同志の青年将によるクーデターで王国を廃止して社会主義国家を建設した。
一応人民主権にもとずく直接民主制ではあるが政党は無くカダフィーの独裁制に近い。しかし、それなりに統一国家を樹立した。
パレスチナ問題でカダフィーはパレスチナに肩入れしいわばテロを援助したので西欧諸国の反感をかっており、テロ支援国のレッテルを貼られたまま。
チュニジアから起こった民主主義運動の余波を受けリビアでは反カダフィー勢力が武力闘争を開始し、欧米諸国の直接武力介入と成り、カダフィー政権は崩壊寸前である。リビアでの民主主義勢力を支援するとして欧米は直接武力介入をして居りその成果は大。リビア国内で民主主義を信奉して命をかけて戦っている若者はどれほどいるのであろうか。種々の反政府団体が武力闘争に加わっているがイスラム原理主義者が中心ではないかと思う。民主主義の名前を語っているのは欧米の援助をえるためで、カダフィーの後はリビアは混乱が広がり最後に指導権を取るのはイスラム原理主義組織に近い団体と見ます。欧米諸国の政治家どうするのでしょう。

エジプトには強力な軍隊組織が有るので宗教政党であるムスリム同胞団とのバランスでムスリム原理主義者団体の勢力拡大を防いでいる。徐々に彼らなりの民主主義政権が出て来ると思われる。
リビアにはカダフィーのいない軍隊の政治面での勢力の度合いがいかほどかはしらないが、イスラム原理主義団体に対抗出来る独立勢力では無いようだ。
アフガニスタン、イラクに加えてリビアでの混乱と成るのではないかと思われる。

昨年の8月に投稿したからほぼ一年まえの記事。リビアはどうなっていますか。混乱状態で西欧諸国の関心無し。全くの無責任。エジプトは ? 軍部とイスラム派との力比べで決着が着いていない。
 

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

民主主義

 投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 6月24日(日)03時36分56秒
返信・引用
  民主主義  投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 1月16日(月)07時31分40秒 返信・引用
サンデル教授の講義第6回を書こうとしているが、どうも集中できず纏まらない。
私は他のサイトにいろんな事を書いているが、頭がすっきりするまでそれらの投稿をここに転写します。

昨年8月22日付け

民主主義は日本に根ずいているか否や。

民主主義とは何でしょう。民主主義は政治形態で、社会形態ではないと思います。絶対的に正しい民主主義は無く各国の歴史と文化により異なると思います。日本には民主主義は有りますが如何なる民主主義なのか、之から如何なる形の民主主義を思考して行くのかの活発な議論が必要です。

インドは世界最大の民主主義国家と言われていますがカースト制度を容認する社会形態の下では形は整ってはいるが
実質は民主主義ではないと見ます。

スウェーデンは1971年以降一院制で総議席349席、内310議席は選挙区議席で39議席は調整議席。修正サンラグ方式で結果的にはほぼ完全な比例代表制度と成っている。多数の少数政党の乱立を防ぐために4%以上の得票を取らないと議席をえられない。教育は大学まで無料、学生の生活費は望めば皆ローンを借りられるので親の資産状態には無関係で教育を受けられる。医療は基本無料。(往診ごとに4000円程払うが年間1万5千円程度を超えると無料、医薬も年間2万円強が頭打ち。それ以上は無料)。制度としてはほぼ完全な民主主義国家と言える。
政治形態の組織は民主主義の理念を具体的に実行する組織と成っている。

スウェーデンは階級の無い社会に見えるが実質階級社会でも有る。例えば社会学的に社会層をクラス1、クラス2、クラス3と分ける。クラス1は知識階級(昔の上流階級)、クラス2はホワイトカラー、クラス3は労働者層。
大学就学率はクラス3からは相変わらず低い等と言う。
クラス3と他のクラスとの付き合いはあまりしない。

日本ではどうだろうか。
日本には民主主義は有る。各市民の平等意識は高いと見るが、民主主義の理念を具体化させる組織と成っていないのが問題と思う。
日本は歴史的にお上が民を治めるの政治形態で、明治政府がドイツやフランスから導入した官僚組織をこの政治形態を維持するに最も適した組織に改めて統治し、第2次大戦後の民主主義導入後も官僚組織は殆ど変わらずに維持して来たと見ます。官僚の強さは中央官庁がもつ許可制度の維持に有ります。地方分権を強化して各種許可制を最小限にすることが必要でしょう。ハーバード大学の政治哲学部の教授であるマイケル サンデル(Michael Sandel )  の講義  『正義』とは
はNHKでも2010年に放送されたようで皆さん御存知だと思う。何が正義なのかと常に自問するのは大切だと思う。このサンデル教授は共同の善を説くが、彼は東日本大災害の惨事の中で取った被害地区での市民の献身的な助け合いの姿に彼が日頃主張する共同体の善の姿が有ると感動している。人は最悪の事態に面した時に本当の姿だでる。

英タイムズ東京支局長が日本の民度は低いと言っているというが、のぼせ上がっているとしか言いようが無い。
先日ロンドンで暴動が起き大規模な略奪が起きたが之は英国の低階級の仕業ですとすまし、自分の国民は民度が高いとでも思っているのであろうか。

日本での問題は自己の意見を公に主張しないこと、議論しないことでしょう。辰巳会の掲示版での最近の活発な議論は大いなる楽しみと成っています。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

ノーベル経済学賞

 投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2012年 6月24日(日)02時34分51秒
返信・引用
  ノーベル経済学賞  投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2011年12月22日(木)20時17分49秒 返信・引用
近年、経済学が人類の幸福に貢献したと言う印象は持っていない。
特にシカゴ学派の政策について外国の実態は分からないが日本国内ではバブルを起し、そして崩壊した。小泉、竹中コンビは建設業界不動産業界のバブル崩壊で損した分の借金棒引き、銀行の不良債権放棄の補填など業界は助けたが、「その内庶民の生活にその余波が及ぶ」どころか、非正規社員や失業者を増やしただけだ、
竹中はテレビでそのことを指摘されると「あの政策を続けておけば庶民にも恩恵が及ぶ」と強弁しているがもう誰も聞く耳は持たない。
1990年代は経済が停滞していたものの日本社会は比較的安定していた。ところが今は経済的な理由で結婚できない若者が30%もいるし、生活保護者の増加など社会が不安化している。
公共事業で景気を刺激しようにも政府にはもうこれ以上借金が出来ないところまで国債を発行してしまっている。マネーサプライを増やす以外に手立ては無くまたもやバブルを引き起こし、景気を上向けようとしているがその効果は出ていない。
経済のことはよく分からないが自分なりに人類の幸福に貢献しノーベル賞にふさわしいと思う経済学者はアダム・スミス、マルクス、ケインズぐらいだろう。アダムスミスは資本主義の発展に貢献したし、マルクスは共産主義者に利用されたものの資本主義の欠点を指摘したため資本主義の健全な発展に寄与した。ケインズは20世紀において機能したとおもう。ただ政治が機能しなかった。政府の財政出動の後、景気が戻れば市場でだぶついたお金は増税などで回収しなければ財政赤字が膨らむのは当たり前だ。だが政治家は国民に不評な政策は実行しない。
今、経済学でノーベル賞に該当するほどの功績は見あたらない。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

ノーベル賞経済学

 投稿者:中園房夫  投稿日:2012年 6月24日(日)02時33分27秒
返信・引用
  ノーベル賞経済  投稿者:中園房夫  投稿日:2011年12月11日(日)09時30分52秒 返信・引用 編集済
今日10月10日はノーベル賞授賞式で今(当地時間で23時30分)受賞者と招待客大勢がストックホルムタウンホール黄金の間でダンスパーテイーに興じている。

経済学ノーベル賞は1968年にスウェーデン国立銀行設立300周年祝賀の一環としてノーベル財団に働きかけて成立された賞である。正式にはノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞である。このノーベル経済学賞に関して書こう。

はっきり言って疑問点は1968年以後の40年の間に経済学が人類に如何なる貢献をしたのかである。1960年代まではケインズ学派が主流を占めある程度の政府の関与を評価し高成長と、富の分配が考慮された。後進国問題が大いに議論され先進国と後進国との格差を如何に縮小するかが議論された。しかしその後の経済学ではシカゴ学派が主流と成った市場主義的自由主義、即ち経済は市場に任せれば最も効率よく資金、労働の配分が行われる。政府の関与を排除する新自由主義が横行。数値を振り回して最も効率よい経済は何かに没頭して来た。リーガン政権、 タッチャー政権はこの新自由市議を強力に促進した。世界経済ではグローバル経済主義が吹き捲くった。経営者のモラルハザードを横行させ結果は2008年の金融危機、後進国との格差は増々拡大している。金融界への規制を大統領就任式で宣言したオバマ大統領が金融経済の専門家として雇った者、皆既存の金融界の大物なので何ら政府規制の動きは無い。危機以前の体制の維持を図る勢力の影響下で身動き出来ず。その場その場の対応でいつか美味く行くだろうと目をつぶっているようだ。体制に組み込まれた経済学者がまだ主流で嵐が治まるのを待っているようだ。
幸いな事に経済学者の中にはポストケインジアンと呼ばれるケインズ学派がより活発に動き始めて居り、共感も得始めている。アメリカのコロンビア大学のステイグリッツ(Joseph Stiglitz)などが新自由主義に変わる理論を展開している。

経済学導入以降の経済学の人類への貢献度は少ないとみる。経済学賞は取りやめて代わりに経済学、哲学、社会学、政治学を含む人文社会科学賞としてはどうかと言うのが私個人の考えでここ数年議論を吹っかけて来た。

この文章を書きながらインターネットで経済学賞に関してWikipediaを読むと下記のごとく記載されていた。
1)1995年2月、経済学賞を社会科学と再定義する事が決定された。(理論的には)ノーベル経済学賞は心理学・政治学・数学・物理学・生物学・計算機科学・経営学・統計学・哲学・社会学など幅広い分野の人間が受賞する可能性が存在する。
2)ノーベル経済学賞の設置自体が間違いであったと考える者も多い。1997年にはノーベル文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーが経済学賞の廃止を要請した。
ノーベル家の一部の人達はこの賞をノーベル賞として認めていないだけではなく、ノーベルの名の使用にも抗議している。2001年にはノーベルの兄弟の曾孫にあたるスウェーデン人の弁護士ら4人が地元紙ダーグブラデットに寄稿し、経済学賞は「全人類に多大な貢献をした人物の顕彰」というノーベルの遺言の趣旨にそぐわないと批判した。

経済学賞に疑問を持つ議論はされていたのは心強いが、実質は相も変わらず経済学が殆どで僅か数名の心理学者と数学学者が受賞したのみ。また受賞者はアメリカとイギリス人が大多数を占め、今年2011年を含めると69名が受賞しているが経済学賞の受賞者のほとんどを欧米出身者が占め、その中でも特にアメリカとイギリスの出身者が多い。欧米諸国の国籍を持たない受賞者は、1998年のアマルティア・セン(インド)が唯一の受賞者となっている。

経済学のみならず、社会科学の幅広い分野でも受賞すると決めたのを考慮すると社会科学部門ですぐれた学者は欧米人以外にはいないと評価されていると見なさざるを得ない。馬鹿馬鹿しい。経済学賞の選考委員会の見識を疑問視する。ノーベル賞自体の評価を落とす行為と見るが如何。

ノルウェーで決める平和賞は受賞した人達を見ると(特に最近は、)ノルウェーの選考委員会の見識を高く評価する。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

異議を歓迎

 投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2012年 6月24日(日)02時31分37秒
返信・引用
  異義を歓迎  投稿者:藤野 基太郎  投稿日:2011年12月 9日(金)00時05分17秒 返信・引用
我々の高校時の(長校長)の座右の銘、「和而不同」を憶えているだろう。君の(異議あり)を歓迎する。
少々硬直した思考を君との議論で柔らかくする機会だ。

最初に言っておくと(当面はサンデル教授の講義を注視して行こう)と思う。
ただ、今思うのは中園君の正義の観念と違って僕のそれはもっと現実主義的(realistic)なのだ。

いつでもどこでも変わらない普遍的な正義と言うものはない。
正義は大抵(法)として国家で存在している。世界の現状や歴史を見るとはっきりしている。
キリスト文明の正義とイスラムの正義は違う。テロはイスラムの聖戦である。
ローマ時代の市民権は多数を占めていた奴隷には適用されなかった。(奴隷は市民の所有物であった。)
アメリカの南北戦争は「アンクルトム物語」で「奴隷解放」などとロマンチックなオブラートに包まれているが実態は北部の急速な工業化により労働力を必要とし、南部の奴隷に目をつけたのが真相である。
映画にもなった「スパルタカス」の奴隷の反乱以降、各地で用兵の反乱で帝国が崩壊するまではローマ法が正義であった。
広島に原爆が落とされたことはアメリカでは正義と概ね理解されている。
真珠湾の奇襲は日本では追い詰められた日本がとらざるを得ない作戦(即ち正義の戦い)という声がある。
戦時の日本では「国に忠、親に孝」が正義であった。
「ヴェニスの商人」の裁判の判決は表面上は正義かもしれないが思想の根底は「命はお金より尊い」ということである。しかし現代ではお金のために戦争という殺戮がおこなわれる。

正義は社会の個々の利害や主義を調整して最終的に合理的に権力者によって{法}として定められる。国家間の正義感の衝突は20世紀は軍事力によって決着した。

全ての個人の正義が国家の正義と一致することは理想であっても現実にはありえない。
社会と個人の正義観が違う場合、個人は体制と戦う必要がある。それによって初めてその個人(若しくはその仲間)の正義感が認められる。正義の議論は多くの仲間(同調者)を作る事によって初めて意味を成す。
それがサンデル教授の狙いなら私の思う所と一致する。

http://8227.teacup.com/nipponforum/bbs

 

レンタル掲示板
/5