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後藤さん、廣松渉の『存在と意味』、今度検討してみましょう。ただ、月曜日は図書館が休館日ですから、ちょっと先になります。他館から取り寄せなければなりませんしね。『ウィトゲンシュタイン全集』の月報に廣松渉が書いていましてね。ウィトゲンシュタインはゲームのルールそのものを変更しようと言い出さないから安心だそうです。なるほど、そういう見方もできるのかな、とは思いましたが。
com-post掲示板に投稿されたtogetter、ちょっと覗いてみました。全部精読したわけではありません。「感想文」「学問・研究」「批評」という区別はあるでしょうね。ただ、クラシックはともかく、ジャズにおいて「学問・研究」がそれほどちゃんと成立しているようには私にはみえません。菊地成孔や大谷能生の仕事もまだ「学問・研究」というほど客観的なものでも実証的なものでもないでしょう。大谷さんの日本の戦前のジャズについての著書は参考になりましたが。
まあ、学問・研究を目指すと、それほど大胆な結論を導くことはできないでしょうね。以前この掲示板で紹介しましたが、日本の現在の「音楽心理学」の試みにせよ、音楽論としてそれほどのことをいっているわけではないです。科学を目指す限り、「価値」を全く語れないか、或いは、語るのが難しいのは事実でしょう。しかしながら、チャーリー・パーカーやバド・パウエルその他を、価値評価という視点を全く抜きにして語るのも困難でしょう。そうしようとするならば、パーカーがビバップを創ったとか、パウエルがピアノ・トリオのフォーマットを確立したというようなただの一般論になってしまいます。そうすると、どうしても「批評」のレヴェルが必要だということになってしまうのではないでしょうかね。勿論その批評家の意見が、一般の聴衆に比べてそれほど根拠があるのか、妥当なのかどうかという点については、個々のトピックについて、例えば、大西順子、ウィントン・マルサリス、90年代ジャズ等々について、検討しなければならないでしょうね。
http://www.geocities.jp/tadashi_settsu/
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