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3週間の旅

 投稿者:古女将  投稿日:2018年10月15日(月)15時52分5秒
編集済
  沢山の楽しい思い出を作って、明日帰国です。
金曜日から、飛行機で3時間のスペインはバルセロナへ3泊4日で連れて来て貰っています。

予報では、ずっと雨だったけど嬉しいハズレ、
とても良い気候で食べる物は美味しいしお洒落な店もズラリ揃ってて、何と言っても物価が驚く程安いのです。
多分日本の半分以下くらい
言葉の問題が無ければ最高ですよ
 
 

「健さん」に手を合わせてきました。

 投稿者:郷土史家  投稿日:2018年10月14日(日)19時46分36秒
  8日の休日、久しぶりに鎌倉へ出かけた。その目的は先月の週刊誌に、「健さん」の供養塔が材木座の「光明寺」に去年建立された、との記事を見て今の内だと思い訪れることにしました。駅に着き混雑する八幡宮方面とは逆の海側の静かな通りを30分程歩くと到着。正面の山門は修理中で左側の塀の間から境内とすぐに供養塔のスペースが目に入った。近づくと一辺4m程の中に玉砂利がしかれてしかれている。飛び石を伝って供養塔(墓)のすぐ前に進み、「高倉健蓮華化生」と刻み込まれた塔に心を込めて手を合わせ頭を下げました。(裏面には小田剛一()本名)平成26年11月10日寂、平成25年文化勲章受章と)。ここには遺骨は納められていません。元個人事務所幹部の方が、ファンが手を合わせる場所として建立したそうです。カメラにこの風景を収めて、寺院を去りました。帰途、20代から幾度となく訪れた鎌倉の地に敬意を表して鶴岡八幡宮に参拝し、段渇道を通って駅に戻り、電車の人となりました。  

駅弁

 投稿者:ヤマピー  投稿日:2018年10月13日(土)21時43分1秒
  テレビ「リーガルV」を観ていたら、駅弁のセリフの中に「明石のひっぱりだこ飯」が入っていて、それ好きな駅弁!と嬉しくなった。タコが好きだから、美味しいんですよ。  

謹んで釈明申し上げます

 投稿者:北風  投稿日:2018年10月13日(土)09時12分2秒
  僕の投稿について時々苦言やアドバイスをよこす友人から電話があった。お富さんに係る投稿中、「カラオケを最初は断る」、このことを「身の程を心得てる女」と表現しているが、それだと「座ったとたんに歌いだすマリアは身の程を心得てないと受け取られるのではないか。マリアは意外とそのあたり敏感だぞ」・・・。そうか、それでは次のように訂正しよう。「自分のカラオケが上手くないことを知っていて身の程を心得ている女」と。カラオケ上手のマリアが直ぐに歌いだすのは宴会係を自認していて、場を盛り上げるためとのことと認識しています。意外と敏感なマリアと、結果としてカラオケ下手(当時)と書くことになったお富、お二人に謝罪します。やはりしばらく投稿を休んだほうがいいな。  

ビーバーとお富さん ②

 投稿者:北風  投稿日:2018年10月12日(金)11時20分30秒
編集済
  お富さんとの出会いは、高校1年の2学期だったと思う。ミックスクラスの転校生としてだった。山口県光市からのそれであって、その名前から素敵な街だろうと思ったし、そうした街のイメージに似合う、清楚でセーラー服もよく似合う子だった。クラスの少なくない男子が彼女に興味を持って、中には早速、確か当時は親戚の家にいるとのうわさの彼女に会おうと出かけた話も聞いた。僕は例によって彼女に話しかけることもなく、だから当時の僕の印象は彼女にはなかったと思われる。一度彼女の字を観る機会があったが、その字はイメージと違って下手だったと記憶している。
 その彼女は30数年後、東京の例会に参加するようになった僕の前に「ソバージュの婦人」として現れた。当時のイメージと大層変わっていたので、僕は最初彼女だと気づかなかったが、そのうち名前も「今・・」と言った筈だと思いだしたが、下の部分を思い出せずにいて、最後は彼女に聞くことになった。それ以来彼女のことをこれも一人「お富さん」と呼ぶことにしている。お富さんは体調を崩した1時期を除き例会に顔を出している。毎回カラオケを歌うように勧められても最初は断る。僕はそうした彼女を「身の程を心得ている女だな」と思うが、最後には歌いだすので、その時は何故かハラハラしながら聞いていることが多かった。それがこれも女子会の成果か、恋の歌を堂々と歌うようになり、僕も楽しみながら安心して聞いてていれるようになった。お富、女子会での益々の精進を期待しています
 追記 恵理が先の例会で僕のところに寄ってきて「例会に出てくる女子の中で誰が一番癒される?」と聞いてきた。ふつう女子が口にしないことを言ったり、回答し難いことを平気で聞いてくる女だ。僕が黙っていると「私ではないよね」と言ったので僕は「勿論」と答えた、すると「マリア辺りかな」というので「マリアは楽しいけどね。癒されるというのとは違うな」とも答えた。恵理からはそれ以外の名前は出なかった。そこで僕は恵理には自分とマリアだけしか思い浮かばないのだなと思った。
 

ビーバーとお富さん

 投稿者:北風  投稿日:2018年10月11日(木)15時30分22秒
編集済
  先の例会に参加したご婦人で、なんばの旅に欠席された方もいて、お二人との出会いを思い出しています。
先ず矢野っち、高校時代に接点はなく、全体同窓会の当番の時ないしそれから間もなくのこと、関東の参加者の出し物の際、演じながらも本当に楽しそうな顔をしていて、この人は人生の色んな事柄を喜び、それに幸せを感じられる人だなと言うのが第一印象であった。その時の愛嬌あふれる笑顔や話をする際に口元を窄める様が、ビーバーのそれに似て可愛いいなと感じ、それ以来一人彼女のことをビーバーと呼んでいる。岩盤浴に凝っている時期があって、これにもまた、この上ない歓びを感じているようだった。あるとき彼女の若き日の恋の話になった。憧れる人はいても交際まで進むことがなかった僕は、結ばれずに別れた恋は哀しい思い出としてしか残らないものと思っていたが、彼女は大切な、掛け替えのない思い出として、今も心に残っているとのこと、そのことを語る彼女の顔はこれも幸せそうだった。当時からカラオケも好きだったが、ちょっと選曲がどうかなと思う時もあった。しかし女子会での成果か、自信たっぷりに歌うようになり、今や情感込めた恋の歌の歌い手だ。お茶の時間が終わりました、お富さんは次の機会にします。
 

忘れ物は何ですか。

 投稿者:北風  投稿日:2018年10月 9日(火)09時06分5秒
  総会、例会に参加した。仕事を兼ねてのこととは言え、自分でもこの間、よく参加して来たものと思う。なぜ参加しようと思うのか、「高校時代の忘れ物探し」なのかな。見つかる筈の物でもなく、仮に見つけても持って帰れる物とも思えないのに。
 成清君、奥さんは6月生まれの男の習性として「過去に拘り過ぎる」とも言っていませんか。
20何回生かの富士通の社長の田中さんが、先月の日経新聞で同学年の今なおサッカー界で活躍の野見山さんのことを「燃える男」として、その交友ぶりを紹介していた。世に出た後輩のことで、何か自分も少しばかり偉くなった気がするのも「母校」効果なのだろうか。
 静かに「燃える女、燃える男」の集まり、いっぱち会への参加は、この後も暫く続きそうだ。
郷土部君、枝国に育ったが「寿食堂」のことは知らなかった。今度帰郷したら行ってみようと思う。君の紹介と言えばマケテくれるだろうか。
 

寿食堂物語

 投稿者:郷土史家  投稿日:2018年10月 7日(日)21時02分34秒
  その食堂は私が物心がつく頃からありました。幼なじみ(2歳上)のお母さんが一人で切り盛りしていらっしゃいました。私の家にまだテレビが無かった小学生の低学年の頃、学校から帰ると食堂に行って大相撲(栃若時代)を見せてもらっていました。そうです、寿食堂は旧穂波町枝国3区の私が上京時まで過ごした家から3軒離れて「八百屋さん」があり、その隣りにあったのです。(八百屋さんの親戚筋)。時は流れ一時期私が30代の頃は向町にあった市場の入り口角 で商いをしていましたが、今から20数年前に今度は元の八百屋があった跡地に戻ってきて今に続いています。今か10数年前からは2代目の女将さん(八百屋の娘さんだった人で私より7~8歳上)に引き継がれています。先月14日帰郷した折も3時前に駅に着きそのまま直行しました。ガラガラッと開け「帰ってきたバイ」、「元気にしちょったね」の挨拶を交わし、飲み始めました。店は昼からやっています。(大昔からこの店は基本的に一人で来ます。この4~5年はたまに部員一人を連れて来ることもあります。)カウンター数席、奥にテーブル席一つ。飾りはありません(亜紀さん風)。他の客はいつも1人(たまに2人)、高齢のご婦人です。2代目の女将さんに変わった頃、顔を出すと「私、あなたの赤ん坊の頃「おんぶ」したり、「おしめ」を取り替えたりして子守りをしていたのよ」と言われ、気恥ずかしい思いをしたものです。ツマミはお任せです。この地で育った頃食べた懐かしい味の料理品を出してくれます。ひととき落ち着いてくると「カラオケ」をやります。そして、龍王山に夕日が沈んで外が薄暗くなると街中の飲み会に参加する為挨拶を交わして店を後にします。「また帰ってくるバイ」、「元気にしちょっかんといかんバイ」この先店が先に無くなるか、割が先に飲めなくなるかわかりませんが、一回でも、一年でも多く訪ねたいこの地、この店です。もうそう先のあることではない気しますが、原点回帰・心の拠りどころとし「寿食堂」を大切にしていきたいと思います。  

祝70回

 投稿者:古女将  投稿日:2018年10月 7日(日)05時03分33秒
編集済
  18回生の皆様お疲れ様でした。
18回生の来年の幸運を、暗示するかの様な、マリア様の大当たり凄かったですね。
かさねての、二次会の盛り上がり何よりです。
いっぱち会に栄光あれ!
 

総会②

 投稿者:浜の風  投稿日:2018年10月 6日(土)21時54分45秒
  昨日の総会は70回目の節目とあって、マリアの報告の通り
初めての500名越えとなったようです。
我ら18回生も新記録。例年4~5名のところが16名。
写真の14名に加えて、ブラスバンド君(最後の校歌斉唱の
演奏のため写真に間に合わず)と大阪から参加の桑名君
の2名も勘定に入れて下さい。
皆様のご協力によりまして大きな成果を上げることができました。
更に2次会は夜9時と遅い開始時間のため数名は不参加の予定で
ありましたが、何と全員参加。これに鎌倉のO君が加わり17名。
たくさんのご参加、ありがとうございました。
それにしてもマリアの幸運は凄いね。
大抽選会で賞品が当たったのは18回生では彼女のみ。
それも2回も当たるとは。
賞品のタニタの体重計を有効活用してください。(必要ない?)
もう一つのシルバーのタンブラーは私が幸運のおすそ分け
をいただきましたので、早速それで今夜ビールを飲みました。

今年の行事も残り少なくなりましたが、ライオンズ祝賀会が
加わります。にわかライオンズファンも歓迎しますので
盛大にやりましょう。
女将さんが帰国したら相談したいと思います。


 

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